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自分なりの良いお産を体験することができた第二子の出産
次男の時も、長男の時と同じように、切迫早産で長い期間入院することになりました。
だけど、長男の時の反省をフルに活かして、私なりの良いお産を体験することができた2回目の出産。
出産の時のママの精神状態が、子どものその後の発達には大きく影響することを知ってからお産にのぞめたことも、本当に良かったです!
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今回はこちらのお話の続きです。
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次男の子育ては、多くのママたちが同じだと思うんですけど、家の中に赤ちゃんとか小さい子どもが2人もいると、些細なことには構っていられないんですよ。
だからいろんなことを、いい意味で割り切ったり、あきらめなくちゃいけない。
それがまた複数の子どもの子育ての、とてつもなく重要で良い部分でもあると、私は思ってるんですけどね。
それまでの人生で、何十年と長い年月をかけて積み重ねてきた、無意識の思い込みや自分の枠を、ママたちは壊さざるを得なくなるんですよね。
私も2人の子どもの育児があったから、だいぶ自分の人生で足かせになってた、いらない思い込みや価値観を手放すことができました。
例えば、人に頼ったり手伝ってもらわないとやっていけないし、時間に遅れることだっていっぱいある。
完璧主義で神経質、真面目で几帳面では、どうしてもいられないんですよね。
だから一般的に、1人目の子育て中のお母さんと、2人以上いるお母さんとでは、子育てに向き合うおおらかさが違います。
「仕方ないじゃん。だってそもそも無理だし、できないし。笑」みたいな割り切りが、いい意味であります。
それに、そんなに完璧にやろうとしなくても、子どもは十分に育つことを、何となくでも経験で知っているので「まっ、いっか♪」が普通に言えるんです。
私もそんな感じで、次男ダリア君の子育ては、気持ち的には随分楽でしたね。
長男とは精神的な部分で全然違いました。
長男に対しては、今でもいろいろ当時のことを思い出すと「あの時はほんとごめんね…」と思って、胸の奥がチクリと痛くなりますよ。
だから、子どもは2人以上を育ててからが、本当の楽しさや喜びを味わえると、私は思っています。
子ども1人だけじゃ、ほんともったいない!
でも今は、子どもが欲しくてもなかなかできない人も増えてるから、こんなことを言うのもなんなんですけどね。
そんな私なりに、長男ホオズキ君の時よりは、少しずつ子育ての楽しさを感じながら育てられてきた次男ダリア君が、あるときこんな話をしたんです。
それは一般的に「胎内記憶」や「誕生時記憶」と言われるものです。
それは3歳のある日、TVで出産に関する内容をやっていたので、話の流れでさりげなく「ママのお腹の中にいるときどうだった?お腹の中は何色だった?」とダリア君に聞いてみました。
すると「ピンク」と即答。
(いよいよ我が子も胎内記憶を話し始めたか!?)と高鳴る胸の鼓動をおさえつつ…
「あったかかった?寒かった?」と聞くと「あったかかった」と答えました。
さらに「お腹の中で何見えた?」と聞くと、ダリア君によれば「もも」が見えたのだそうです。
「桃!?」
でもすぐに思い当たることがありました。
私は妊娠中、子宮の中に子宮筋腫をいくつか持っていました。
子宮筋腫は良性のポリープのようなものなので、何も影響がなければそのまま様子を見ていて大丈夫なものです。
その時の筋腫は小さなものだったので、出産にも影響ないということでそのままでした。
ダリア君は私の子宮にある筋腫を見ていたんじゃないかな、そう思ったんです。
胎内記憶って、ただの記憶にしかすぎないので、子どもがその当時の記憶を思い出して、その時の言語力で言葉にするんです。
3歳のダリア君が子宮筋腫という言葉を知るはずもないし、その意味も知りません。
だとすれば、お腹の中にいる時に、いつも近くにあったピンクの丸い物を思い出して、それを3歳の言語力で表現すると「ももがあった」になりそうですよね。
あくまでも憶測なので、それが真実かどうかは証明できませんけど。
「お腹の中にいる時、何が楽しかった?嬉しかった?」と聞いてみました。
「ママが笑ってるとき楽しかった♡」とか「お腹の中でスイスイ泳いで楽しかった!」とか言うかな?と思っていました。
私は胎内記憶について、胎内記憶研究で有名な、産婦人科医の池川明先生の講演会に行ったり、自分なりに勉強していたので、知識だけは既にあったので。
だけど、予想とは違ってダリア君の答えは「パパとお兄ちゃんが来て嬉しかった」でした。
「ん?」
でもこれもすぐにピンときました。
前にもお話しましたが、私はダリア君を出産する時に、切迫早産で3ヶ月弱ほど入院していて、絶対安静の生活でした。
私は自分の実家の近くの産婦人科に入院していて、パパと長男のホオズキ君はその間、パパの実家で生活していました。
病院とは少し距離があったので、パパがホオズキ君を連れてお見舞いに来られるのは、パパの仕事が休みの日の、週に1回だけでした。
その家族で会える時間がとっても嬉しかったのは、私だけじゃなくて、お腹の中のダリア君も同じだったようですね。
ダリア君も長男ホオズキ君と同じで、帝王切開で生まれています。
「お腹から出てきた時、お医者さんは見えた?男だった?女だった?」と聞くと
「見えなかったよ。だって目をぎゅっとつぶってたもん。」
なるほど。
「じゃあ、目はつぶってて見えなかったけど、耳は聞こえた?」
「聞こえた」
なるほどね~、生まれたてでも聴覚は発達してますからね。
ダリア君、なんかそれっぽいことを次々と言ってるんですよ!
「生まれた時どうだった?どんな気持ちだった?」と聞いて見ました。
そしたら「ミルクをはさみでチョキンとされて、怖くて泣いた」って言ったんです。
ミルク?はさみ?
3歳の子の頭で考えたときにミルクって・・・。
もしかして、へその緒!?
お腹の中にいる時、お母さんからの栄養をへその緒からもらいますよね。
後から知ったのですが、胎内記憶を話す子って、へその緒のことをミルクとかおっぱいとか、そういう表現の仕方をするらしいです。
赤ちゃんが栄養をもらう=ミルク
それをはさみでチョキンとする=へその緒をはさみで切るだー!
まるで暗号のように、3歳の次男の言葉を解読しました。
「ミルクってへその緒のこと?」
「わかんないよー」とダリア君。
そうだね、まだへその緒って言葉、知らないよね。
「じゃあ、ミルクをチョキンと切った時、痛かった?」
「うん、ちょっと痛かった」
へその緒切るとちょっと痛いのかー!!
なるほど、なるほど~。
そんなダリア君の胎内記憶でした。
これが真実かを証明することなんてできないし、その2年後くらいには、そう話したことも忘れちゃったみたいです。
でも、誰がなんと言おうと、かわいい我が子が話したそのことを、お母さん自身が胎内記憶だって思うならそれでいいと思うんです。
胎内記憶研究で有名な池川明先生も、いつもそうおっしゃっていますしね。
それが本当か嘘かということは関係ないんです。
「うちの子、お腹の中でこんなこと思ってたんだ!」「生まれた時こんなこと思いながら頑張って生まれてきてくれたんだ」そう思うだけで、我が子がとっても愛おしくて、幸せな気持ちになりませんか?
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