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【妊娠・出産編】安定期に卵巣の開腹手術、そして切迫早産の入院へ
妊娠安定期に入ってから、お腹に赤ちゃんがいる状態で開腹手術をして、はれてる卵巣の手術をした私。
その後、切迫早産(早産しそうな状態)になり、長い入院生活に入りました。
常に点滴につながれて、ベッドの上で安静の生活だったけど、私にとってはまるで人生のお休みをいただいたようで、他の妊婦さんたちと楽しい毎日でした。
出産は局部麻酔の帝王切開で、意識のある中おなかを切られ、私にとっては苦痛を味わいながら産んだホオズキ君。
産後の入院中も、傷をおさえながら、助産師さんにも「つらい」「助けて」が言えず、一人で耐えながら赤ちゃんのお世話をする私…。
切迫早産からの3ヶ月弱の長い入院生活を終えて、赤ちゃんと一緒に家に帰って来ましたが、これから赤ちゃんとのどんな生活が始まるのでしょうか?
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今回はこちらのお話の続きです。
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3ヶ月弱の長い入院生活から退院して、久しぶりに外に出た私。
なんてきれいな青空!
外ってほんと気持ちいい~♪
「刑務所から出て来る人って、きっとこういう気持ちなんだろうなぁ…」となんとなくそう思いました。
「フッ。やっとシャバに出てこられたぜっ!」
産後は私の実家に1ヶ月、いることになっていました。
産後、床上げするまでは大事にした方がいいって、よく言いますよね。
なるべく体を休めながら、赤ちゃんのお世話を頑張りました。
初めての母乳育児も、感覚が分からなくて最初は難しいですよね。
赤ちゃんも口がちっちゃいし、赤ちゃん自体まだ吸うことに慣れてないし。
でも実家だとご飯も作ってもらえるから、自分と赤ちゃんのことだけに集中できるのは、本当にありがたかったですね。
そうして1ヶ月が過ぎて、自宅に戻りました。
産後の新生児訪問で、助産師さんが自宅に訪問してくれたんですけど、そのときにチェック項目にチェックするのがあって、どうやら私はそれに引っかかってしまっていたようで…。
その後に、もう一回訪問を受けました。
確かに化粧もしないですっぴんだったし、怖がりだから「怖くなることがある」とかもそういう意味でマル付けたし、他にも何個かマルしたところがあって、産後鬱のチェックか何かに引っかかったみたいです。
自分では全く自覚なかったんですけどね。
「産後の子育てはみんなこんなものかな?」と思ってたけど、客観的に見たらちょっとヤバい状態だったのかもしれません。
最初の頃は家で赤ちゃんとゆっくり過ごすことが中心だったけど、そのうち実家に赤ちゃんを連れて行って私はお昼を食べて、午後になったら帰るというのが中心の生活になりました。
じいちゃんばあちゃんも、孫に会えるのが嬉しそうだし。
私もお昼ご飯をごちそうになって、昼寝して帰れるから、体的にも精神的にも楽だし。
母乳育児で夜間授乳もしてるから、常に寝不足みたいなものですからね。
あとね、実は私、過去世でも今の父親と、父と娘の同じ関係性だった過去世があるらしいんです。
それが分かったきっかけは、私がどうしても父に対しての嫌悪感が消えなくて、最初は思春期だから反抗期でそう感じてるんだと思ってたんですよ。
でも大人になって年を重ねていっても、その嫌悪感がどうしても消えなくて…。
それでこの理由は分かる人に聞かないと分からないなと思って、スピリチュアルカウンセラーのカエデさんに聞いて分かったことなんです。
私は過去世で、父に虐待されていた娘で、冬は凍り付くようにとっても寒い国なんだけど、外に裸足で出されたりとかしてて、酒のビンとかが飛んでくる感じだったみたいです。
それで大人になってからそんな父が嫌で家を出たらしいんですけど、自分の子どもが生まれてからも会いには行かなくて、父の亡くなったことを知って初めて実家に戻ったようなんです。
それでひどく後悔したんですって。
「なんでもっと早く帰ってあげなかったんだろう。孫の顔を見せてあげなかったんだろう…。」って。
だからそのつぐないの意味もあって、また今世で同じ関係性に生まれてきたみたいです。
なのでね、嫌悪感がどうしてもあってイヤで仕方ないのに、誕生日とか父の日とかクリスマスとかになると、なぜか家族で私だけがプレゼントをあげたりずっとしてきたんですよ。
それって無意識に、つぐないの気持ちからきてるんですって。
だからそのカルマは今世で終わりにしたいから、せっせせっせと毎日のように孫の顔を見せに連れて行きました。
それから、少し大きくなって初めて児童館に行ってみたとき、うちのホオズキ君が持ってるおもちゃを、他の子が急に奪ってホオズキ君が泣いたことがあったんですよ。
まぁ、こういう場面は、私は保育士をしてるから慣れっこなので「こうやっていろんなことを体験していくんだよね。初めてでびっくりしたね♪」と見ていられました。
私が働いていた保育所は、6ヶ月からのお子さんをお預かりしてましたが、一応6ヶ月以降の子どもと接することには慣れているので、そういう意味で子育てに対してあんまり心配はありませんでした。
しかーし!!
自分が我が子を育ててみてすっごく思ったのは、自分の子の子育てと、保育所での集団保育は全くの別物だということです!
もちろん保育士の知識で役立つところはたくさんあるから、本当に助かるんだけど、それだけじゃないところが多い!
一言じゃ言えないんだけど、どんなにクラスを素晴らしくまとめあげる、すごい保育士さんだったとしても、じゃあ家で素晴らしい子育てしてるかというと、それは全くの別物だと思うんです。
子育てって、本当に自分の中のいろんな見たくない部分とかも、掘り返されますよね。
でもその経験を通して、子育てしてるお母さんは自分自身の在り方とか生き方を見直して、新しい自分で生き直すチャンスをもらってるんだなと思いました。
私の場合、めちゃくちゃ完璧主義で、真面目な性格なんですよ。
だから「子どもに害のあるものは絶対排除!」ってすごく神経使うし「母とはこうあるべき」という勝手な思い込みがガチガチにあって、勝手にそれに縛られて子育てしてました。
それってすごくストレス溜まりますよね。
でも、どんなに自分が大変でも「手伝って」「大変」「苦しい」そういうことを言えない人だったんですよ。
今ならこういうことを客観的に分析できてるけど、その頃は自分がそういう状態だってことすら気付いていませんでした。
だから、自分の中にストレスやいろんな感情を、溜め込んで溜め込んで溜め込んで…
そしていよいよダメになったら、大爆発する!
それを定期的に繰り返していました。
ほんと旦那さんから見たら、困った奥さんですよ!
いつも妻の顔色やご機嫌を伺ってなくちゃいけないですからね。
それって子どももおんなじで、私がイライラしたり大爆発起こしたら、必ずとばっちり受けますよね。
子どもの場合はさらに、それが性格とか人格形成にも大きく影響していっちゃいますから。
きっと「僕が悪いからなんだ…」とか思っちゃうよね。
そんな困ったお母さんでした。
無意識の自己犠牲精神もすごかったしね。
「子どもが絶対優先」「自分は我慢すべき」「私は母親なんだから」みたいな。
(ほんとは自分が我慢して、子どもを最優先にしなくたっていいんだよ~)
今思えば、いろいろずれてましたね。
そのうち親子で参加できる小さい子のイベントとか児童館の催しとか、積極的に参加するようになっていったんですけど、そのときも真面目で完璧主義だから、遅刻とかはしたくないんです。
だけど、小さい子連れてると、家出るときにうんちしてたり、なんだかんだ思い通りにはならなくて遅れるじゃないですか。
それで時間に間に合わなくて「私最悪だ…」って自己嫌悪。
そんなことの繰り返しでした。
勝手にイライラして、手荒に服を着替えさせて、それでホオズキ君が泣いちゃったりね。(それってよっぽどの手荒っぷりよ)
その後また自己嫌悪に陥って、これじゃダメだと玄関先でシャボン玉して気持ち切り替えようとして。
そのときの笑ってるホオズキ君の写真見ると「この直前に、私ひどいことしたんだよな…」って思い出して、今でもチクリと胸が痛みます。
子育てってさ~!ほんと大変よね!!
っていうかさ~、たぶんそんなに大変じゃないのよ。(どっち?)
日本みたいに核家族化してる子育て環境の中で、子どもの育て方も誰からも教えられず、急に始まる母と子の2人だけで日中いる子育て。
授乳の仕方も分からずうまくいかなくて、毎日寝不足になったり、乳腺炎になってガチガチに腫れたり。
1人目のママにとっての、そんな初めての分からないことだらけ、心配で不安なことだらけの子育てが、とてつもなく大変なんだよね!!
特に、当時の私みたいに、真面目で完璧主義で自己犠牲強いママは、本当に大変!!!
だって私が相当大変だったもん。
保育士でもそんな感じよ。
でもさ、それって絶対良くないよね。
私みたいなタイプの真面目で頑張り屋さんのママだって、日本人にはいっぱいいるでしょ?
そんな私の苦しかった1人目の子育て体験が、その後の私を1人の保育士として、強く突き動かしていくのでした。
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